これまで主に欧米の50あまりの都市や街に滞在した。名所旧跡絶景を巡るより、生活感漂う街なかで現地の人々と普通に接するのが好きだ。海外の人々とふれ合って、外見・言葉・文化は違っても、喜び、怒り、悲しむ同じ人間なのだと実感した。以降、外人コンプレックス(今では死語かな)が消え去ったのは言うまでもない。
若かりし頃、ドイツに長期滞在したあと、貧乏一人旅でアドリア海沿いにクロアチアを巡った。リエーカ Rijeka とスプリト Split はキラキラ輝くアドリア海に面した明るく活気がある美しい街だった。、パリで一泊してオルリー空港から帰国のはずが、港へ行くと船は出たあと。急遽バスに乗ってトリエステ経由でパリへ向かい、帰国便に間に合ったのも今となっては懐かしい思い出。なんの不安も焦りも感じなかったのは、怖いもの知らずの若さゆえか。 初めてイタリアを訪れるまではあまり良い印象を持っていなかったが・・・空港のエスカレーターで老婦人が転んだとき、数人の男たちが我先に全速力で駆けつけてきた。あちこちで自治体やボランティアがノラネコを自由ネコ gatto libero と呼んで大切にし面倒を見ている。でジャケットの内ポケットに手を突っ込んできた子連れジプシー女を紳士が叱りつけてくれた。親子の境遇を分かったうえで、自分の規範と裁量で行動するのがイタリア人だと思った。すぐに警官を呼んだり、何かと公の力を頼もうとする日本人とは違う。蛇足ながら、その後ドゥオモの前を通りかかったとき、この親子はちゃっかり他の人に物乞いをしていた。貧乏一人旅の途中、列車のドア横でスーツケースに座っていたら、席空いてるよと兄ちゃんが声をかけてくれた。以来、現代のイタリア人は世界でもっとも人間性の基本をわきまえた国民ではないかと思うようになった。他人への接し方がその国の精神的健全度を表していると思う。 その後仕事で滞在したノルウェーのオスロと北極圏のボードー Bodø は、夏季だったのに真夜中でも明るかった。空港から車でボードーに向かう途中、道の真ん中で仁王立ちしている巨大なヘラジカに出くわしたこともある。 過去に3度滞在したパリは、人間の身の丈に比べて高すぎる建物や仰々しいモニュメントに辟易し、少々居心地が悪かった。 商用で滞在したベネチアからヒースロー空港経由で帰国する予定だったが、アリタリア航空の便が4時間遅れた。帰国便は ANA。急いでカウンターへ向う途中、空港スタッフに呼び止められ、スーツケースを開けろと言う。断るわけにもいかず、タッチの差で乗り遅れてしまった。このハプニングがなければ間に合ったのだが。ロンドン支社に電話で相談したら、JAL のカウンターへ行って交渉してみればと。アドバイスどおりにしたら、今回だけ特別ですよと言って直近の便のチケットを無償で発行してくれた。そのとき思ったのは、捨てる神あれば拾う神あり、たいていのことは、それなりに対応すればなんとかなるさー。 忘れもしない22年前、ニューヨークでの商談のため2001年9月27日のアポを取った。そして起こったのが同時多発テロ。商談相手の女性マネージャーに弔意を伝えるとともに、こんな時に仕事のために訪れてよいのかと尋ねた。こんな時こそできるだけ早くビジネスを再開することがいちばんよ、と毅然とした言葉が返ってきた。あーこれがアメリカン・スピリットなのだ、アメリカン・ビジネスウーマンなのだと感じた。予定どおり渡米したが、往き帰りのラガーディア空港の警備は非常に物々しかった。またこの旅で、ことがあると知った。 フロリダ・ウエストパームビーチのの店外に黒人達がたむろしていた。彼等は皆それまで見たことがない表情をしていた。アメリカにおける黒人の現状を実感した。 私の家族と両親の計6人でハワイへ行った際、父はホテルで知り合った現地の人との会話に多くの時間を割いていた。また、リムジンでオアフ島を巡ったとき、アメリカ人の運転手に、大戦は個人としてどうしようもなかったと言った。ずっと負い目を感じていたのだろうか。そんな血筋を私は受け継いでいると思った。 我々は教育や書物、報道などのフィルターを通して海外の国々を見ていることが多い。そのほとんどは大局的なものだ。あの国のあそこは治安が悪いといった情報をネット上で見かけるが、外国人がとやかく言うことではない。なんだかんだと大陸のほうからイチャモンが聞こえてくるのは不愉快なのとおなじ。余計なお世話ということ。 風評だけで安易に判断すべきはでない。住んでいる人々にとってはじゅうぶん暮らしやすい環境なのだろうから。わきまえるべきはこちらが外国人だということ。他人の家にお邪魔してあれこれ言うのは失礼だよね。とはいえ、別の文化圏で過ごさせてもらうには、それなりの安全意識を持つ必要がある。。 思うに「何とかのパリ」とか「小京都」などのような言い方は、その街に住む人々に対して失礼ではないだろうか。どの街にも、それぞれ異なる個性があるのだから。 島国に住み、外国からの侵略をほとんど経験したことがない日本人は、国家意識が総じて希薄だ。のを思い出した。ここは「国」じゃないねと。 国とはいったい何だろう?