所詮はプログラム(2026/09/25)

今日電車で就活の中吊り広告を見て思った。かつてもてはやされた SDGs のように、AI も箔付けのためのキャッチフレーズとなってきたようだ。 AI は所詮プログラムである。主体はデータベースと条件分岐の集合にすぎない。知能などと呼ぶべきではない。失敗や過ちを教訓にして進歩してきた人類。プロセスを軽んじて苦もなく正解らしきものを得ても将来碌なことはない。人間はとかく楽なほうへ流されやすい生き物だ。記憶力や思考力などが退化していくだろう。 グーグル検索の「AI による概要」から「ベータ版」の表示が消えた。ためしに「トランプは正しいのか」と質問すると、データベースから抽出したと思われる客観的回答が表示される。とりあえずはそれでよい。真偽が定かでない判断をされては堪らない。ただし、回答が事実なのか吟味する必要がある。ところで、これしきの演繹処理に AI なる語を冠するのも、ハヤリへの便乗ではないだろうか。 脅威に感じるのは、人間には真似ができない自己学習と処理の速度である。。悪事を目論む者にとっても恰好のツールだ。社会基盤全体に組み込まれて進化を遂げたとき、はたして人類はそれを制御できるだろうか。狂ったコンピューター HAL 9000 の思考回路モジュールを抜き取る「2001年宇宙の旅」の一場面が頭をよぎる。 要は、人間の主体性を保ちつつ、AI を盲信せず補助手段として活用すればよい。 インターネット、パソコン、スマホは現代社会に革新をもたらした。今やこれらなしでは社会は機能しない。ブログで好き勝手なことを発信できるのもデジタルインフラあってこそである。しかしいずれも、大衆が求めたものではなく、使えば便利だからと与えられたものだった。楽になるのと引き換えに何を失うのか、与えた側は検証しなかった。使う側も深くは考えなかった。新たに AI が登場して思う。もうそろそろ使う側が選択してもよいのではないか。 電車内でも歩行中も自転車に乗っていても、黙々とシガレットケースのようなものをいじり続ける人々。時代遅れと嗤われても敢えて言いたい。Isn't it unnatural ?

POSTSCRIPT(2026/09/26) トリドール(丸亀製麺)が「」を導入したとのこと。狙いは宣伝だろう。本気だったら社員が可哀想だ。

POSTSCRIPT(2026/10/01) 今夜、NHK で「 - AI 未来を夢みたふたりの天才」を観た。エニグマ暗号を解読したアラン・チューリングとマンハッタン計画に携わったフォン・ノイマンの晩年は、苦悩に満ちたものだった。

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