車の自動運転にはいくつかの方法があり、これは車自体にその機能を持たせる場合についての話。 技術が飽和するとその産業は廃れる。かつての造船業のように。メーカーは付加価値競争に勝ち続けないと存続できない。エアコンの自動クリーニング、洗濯機の洗剤自動投入・・・あの手この手で新しい機能(価値)を付け加え続けている。 自動車も然り。全方位モニターやソナーは条件抜きで便利。諸手を挙げて歓迎する。これらは人間と運転のあいだに介在して人間の感知能力を高めてくれる。自動ブレーキも歓迎する。ただ、自動運転車と非自動運転車が共存するなら車間距離を今以上にとるとか注意しなければならないだろう。 しかし、人間を介さずに運転が制御される自動運転には違和感を覚える。なぜなら車は(ひとりの人間が操作する)ある意味走る凶器であり、人間が仕組んだものには必ず欠陥があるからだ。たとえ10km/hで運転していても、重量1トンの車体はを持っているのだ。 だからこそ自動運転が必要なのだと言う。ただそれは自動運転中も非自動運転とおなじくらい注意を怠らずに運転しての話。人間、楽を知ると元には戻りたくないもの。いまでも「ながら運転」とかが問題になっているではないか。どんどんエスカレートしないかと危惧する。運転は神経を使うもの、疲れを感じて当然だと思う。 技術を過信すると想定外のシッペ返しがありはしないか。天災にしても社会システムの欠陥が判明してから改善するのが世の常。そうやって人類は進歩してきたのだと言われればそうに違いないが。 自動運転にはレベル1~5がある。法律上、自動運転中の事故責任はレベル3(状況限定型全自動運転)まで運転者が負うとされている。一方、自動運転中の前方注意義務は免除されるが、単純に事故責任をメーカーが負うかどうかは法的に難しい問題とのこと。 このあたりのロジックには疑問がある。自動運転に慣れてしまったドライバーが、システムから急に「あんたにコントロールを渡すよ」と言われたらどうなる?とっさに正常な判断ができるかどうか。そんな車がウジャウジャ走りまわるかと思うと空恐ろしい。 先進技術立国を急ぐあまり見切り発車しないでほしい。正直なところ、産官主導の自動運転普及には安易に賛同できない。 将来「運転を楽しむ」なんて死語になってしまうのか。それとも別の楽しみ方が生まれるのだろうか。